やっぱり好きを仕事にしたい
何を、どうして「それを学んだの?」「どう変わったの?」

それらを学ぶまでの道のりと「今ココにある輝き」の理由を探り、
『習い事』『資格』で、もっとHAPPYになりたいあなたにエールを贈ります。

Profile
大城光代 さん(56歳 / 宜野湾在住)

ナチュラルビューティーMit主宰
トゥルービューティーセラピストⓇ
美容師に憧れるも薬品会社の事務員を経て、家族が経営する店舗で経理や料理開発を担当。趣味としてフェイシャルやメイクを学びながら経験を積み、自ら決めた「55歳で定年」を機に、大好きな美容の世界へ身を置く事を決意。

大城光代
光代さんの叔母(85歳)にメイクを
大城光代さんが学んだスクール 『mika Beauty Style』の 詳細

光代さんの叔母(85歳)にメイクを。
メイクアップ前後の表情の違いに注目!

大城光代さんが学んだスクール
『mika Beauty Style』の詳細はこちら

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定年後は、やりたいコトを仕事に
東京で美容室を経営する叔母に、私は幼い頃から憧れていました。当時は沖縄が本土復帰する前。パスポートを取って、沖縄と本土を行き来しながら美容の仕事をする叔母を尊敬していました。私も同じ道へと夢を抱いていましたが、美容関係の仕事は厳しく苦労が多いと叔母と両親に思いもよらず反対され美容の道を諦め会社員として勤めながら趣味としてメイクや美容を楽しんでいました。
15年勤めた会社を退職後、弟が経営する飲食店に転職。その当時から、飲食店での定年は55歳と決め、一旦は諦めていた夢だったメイクの仕事をこれからの自分の仕事としてやっていきたいという思いが強くなり、学ぶ決心をしました。色々なメイクスクールに問い合わせをしたところミカビューティースタイルの代表・新垣美香先生に「えら部スクールフェスティバルに来てみませんか」とお誘いを頂きました。その会場では、スクール説明会と実際のメイクのデモを行っており、とても参考になり、東京で経験を積まれ、その後沖縄で独立する際「メイクの仕事はない」と周りから言われたが、メイクを始めると、実際は断るほど需要があったとのこと。その話を聞き、勇気づけられました。

学び始めると、メイクやスキンケアの方法 がこれまでと全く違うことに驚きました。
人それぞれの魅力を引き出すメイクは大変勉強になり、自分がこれまでしていたメイクも変わり、心も更に前向きになり、メイクの力を私自身が実感しました。「メイクって素晴らしい!これを私の天職としよう!」私は心に決めました。またスクールでは、撮影や現場にアシスタントとして入れたので、実践で技術を磨ける機会をいただき自信がつきました。その後浦添の「アドラブール」オーナー・浦崎とも子さんに「セレクトショップをオープンさせるので店内にサロンを持たないか」「沖縄で他にはないショップ創りをしたい」とお声をかけて頂きました。「私は、メイクサロンをもつなら、ブティック内で、とずっと夢をもっていましたので縁を感じました。」そして不思議と決めた時から思い描いた通りの展開になり私が夢に描いていた「サロンがOPEN。」 憧れだった叔母は沖縄へ戻り、今は痴呆のため施設に入っています。先日、私のサロンでメイクをしてあげた時、私の名前を急に思い出し、「自分にも何か手伝えることはないか?」と言い始め、とても驚き感激しました。 そんな叔母を見て、私の仕事は人をキレイにするだけでなく人を元気にするんだと。この仕事を誇りに思いながら続けて頑張っています。

光代さんの転身カレンダー
栄美さんの転身カレンダー
2015年12月〜
出張メイクなど、自分の経験を試す機会をつくっていた。退職する前月に、ようやくスクールをリサーチ。片っ端から電話で問い合わせをした。


検討
2016年1月
電話応対に印象が残ったmika Beauty Styleの勧めで、「えら部スクールフェスティバル」へ行き、体験レッスンを受講。そして資格取得を決意する。


体験
2016年5月〜12月
mika Beauty StyleのトゥルービューティーセラピストⓇコースを受講し、8ヵ月で卒業。その後、ブライダルメイクのアシスタントやイベント出展などを行い、経験を積む。

資格取得
2017年4月〜現在
念願のサロンをOPEN。ブティック内に個室を持つことで、大好きな洋服のコーディネートと共にメイクやエステを行い、トータルコーディネートが可能になった。

開業